drakiti63の日記

私の人となり

家庭料理

幼くして

母を亡くした

私は

母が作ってくれた

料理、即ち

おふくろの味というものが

記憶にありません

辛うじて記憶にあるのは

祖母のつくった

味噌汁と

父のコロッケとお好み焼きです

幼い頃は

食べず嫌いであった

私は名古屋名物のエビフライさえ

食べることができませんでした

ところが

叔母の家に

泊りがけで遊びに行った時

叔母が作ってくれた

エビフライがとても美味しくて

随分、食べず嫌いが直りました

叔母の料理で思い出すのが

朝食にと作ってくれた

卵焼きに

ソースをたっぷりかけたのを

折角の味付けが台無しになるじゃないのと

叱られたことです

どうやら

私も私の弟も

大のソース党で

私の父曰く

お前たち二人で

毎月、ソースを

一升使っていたそうです

確かに

お好み焼きには

随分とソースをかけて

食べていた覚えがあります

話は前後しますが

祖母の作ってくれた

味噌汁は

本当に美味しかったです

その味が再現されたのは

十年に及んだ東京生活に

終止符を打って

名古屋に戻ってきた

翌年の1994年に

持病が悪化して

再入院した

それも最悪の病院で

支給された朝食の味噌汁でした

それでも

もっと美味しかったのは

伯父の家で

食べた味噌汁です

伯父が仕事で帰りが遅くなって

夕食も夜食の時間帯で

私は既に夕食を

食べていたのですが

伯父がとても美味しそうに

味噌汁を食べているので

我がまま言って

食べさせてもらった

あの味噌汁だけは

いまだに出会ったことがありません

多分、二度と巡りあえないでしょう

それから

伯母の家にも

小学生の頃は

夏休みになると

長期滞在するのですが

伯母は学校給食の調理師でしたが

今、振り返ってみると

食事に何を頂いたのか

全然思い出せません

但し

従兄が豚肉のステーキ一枚を

お釜いっぱいのご飯を

とても美味しそうに

しかも、あっという間に

たいらげてしまったのを

よく覚えています

ここからは

私の料理履歴を述べたいと思います

まずは

インスタントラーメンの元祖と

勝手に思い込んでいる

日清の出前一丁

祖父に作ってあげたら

美味しいと喜んでくれたのが

一番、最初の料理体験でした

祖父の享年の時だったと記憶してます

私は小学校3年生でした

高学年の頃には

カレーライスも作った記憶があります

話は大学時代にとびます

30人くらいで

共同生活をしている

寄宿舎で

週に一回

お昼のお弁当と

夕食つくりをしました

その甲斐あって

結婚してから

働けない分

平日は

家族のために

料理を作りました

韓国の友人を

家に招いて

韓国風雑煮、海鮮チゲ

チヂミ、チャプチェなんかも

作りました

30代の頃は

毎週日曜日の早朝

名古屋郊外にある

公園でサッカーをしましたが

韓国風海苔巻やチヂミやイカの辛みそ煮なんか

必ず何か持って行って

召し上がってもらったのが

いい思い出に残っています

また

韓国の友人というと

奥さんが海外宣教に行ってしまって

独り暮らしをしているJさんに

夕食を作ってあげる代わりに

韓国語を教えてもらっていたことがありました

時には市販の韓国語テキストでは

学ぶことの出来ない

内容を教えてもらうことができました

料理というものは

誰かの為に作ってこそ

甲斐のあることだと思っている

私は

独り暮らしの現在は

レトルト食品と

冷凍食品だけで

すませています

最後に

別れた家内の手料理で

好物だったのは

ジャージャー麺と稲荷寿司です

今週の金曜日は

施設のプログラムで

久々に参加する

調理実習です

豚肉とキムチの炒め物と

チヂミと

粟米湯です

詳しくは

その日のブログで

報告します

それでは