読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

drakiti63の日記

私の人となり

可愛い韓国の女子学生さんからもらった言葉

今週のお題特別編「嬉しかった言葉」
〈春のブログキャンペーン ファイナル〉

私が、大学7年生の時

(通常では、大学3年生)

東京大学と韓国のソウル大学の親善セミナー

1週間というのがありました

その時、私が東大生のリーダーとして

訪日韓国学生団の引率責任者になりました

その時、ソウル大学をはじめとする

梨花女子大学、淑明女子大学などなど

韓国の学生さんたちと

たいへん仲良くなりました

一緒にショッピングに行ったり

東京タワーに行ったり

東大の本郷キャンパスや赤門に行ったり

ディスコに行ったり

韓国と日本の問題に関する

討論会で、意見を交換したり

遊園地のようなところに行ったり

京都に観光に行ったりしました

金閣寺にも行きました

小学校の修学旅行以来の金閣寺でした

その時、日本の歴史と韓国の歴史に

詳しかったら、もっと、日本と韓国の

歴史的なお話をしてあげることができたのに

今になって、後悔してます

私が病気になってから

歴史の文献で知った

足利義満と韓国の不思議な

一致点

それは、義満が天皇家の南北統一した

西暦が1392年

李成桂

朝鮮半島を統一したのも

西暦1392年

従って

日本の在日大韓民国民団と

朝鮮総連が一つになれば

朝鮮半島(韓国では、これを韓半島という)が

南北統一されるはずだと

私の持論です

これを韓国語で

우리가 하나된다(ウリガ、ハナデンダ)と

表現する

홀로 아리랑(ホルロ アリラン)という

歌があります

幼子でも理解ができる

私たちが一つになるという意味です

話が脱線しましたが

軌道修正します

京都の旅館で

すき焼きやキムチを食べながら

韓国の故郷ごとに

歌合戦

お酒こそ出なかったものの

ドンチャン騒ぎ

ソウル、慶尚道全羅道江原道忠清道、京畿道、済州道、在日

最後はみんな、手と手をつないで輪になって

韓国と日本の永遠の友情を厳約

兄弟姉妹の篤い誓いを交わし合いました

しかし、広島の原爆ドームへの訪問の時

当時まだ、原爆で犠牲になった

韓国人の魂が

原爆ドームの外でしか

祀られてなかったので

険悪な様子が漂いました

その前に話が前後しますが

私が一番仲良しになった

淑明女子大の

とても可愛い女子学生と

そのお友達、その女子も可愛い女の子でしたが

私にプレゼントをくださいました

沢山、韓国語でからかって

笑わせて

バス移動で車酔いして

苦しんでいる時に

ジョークを言って

気分を楽にしてあげたりして

おまけに、下関の関釜連絡船乗り場に向かう

列車のホームで

その女の子から

人生初めて、私好みのタイプの女性から

「韓国に帰っても

 戸松さんのこと

 沢山、思い出しますよ」

なんて、告白されたようなこと

ききました

それが私の嬉しかった言葉です

関釜連絡船のターミナルでは

先ほど述べた

広島ドームでのいざこざを

私が通訳を通して

韓国と日本の友情は

私たちがいる限り

必ず、実を結ぶと

熱烈に演説しました

その演説が終わった瞬間

ソウル大学のリーダーさんが

私のもとに駆け寄り

私を抱きしめて

慟哭されました

私も釣られて

それまで張り詰めてきた

韓国への思いが大爆発して

慟哭しました

そこに集まっていた韓国の学生さんに

男が泣くなんておかしいですねと

私が言ったら

特に女子学生さんたちが

戸松さん、韓国語、上達しましたね

なんて、照れくさいこと言われて

それも、私のきいて嬉しかった言葉

フェリーに乗った後も

ソウル大学の学生さんと

私に告白されたようなこと言った

可愛い女の子が

連絡船の下風で

戸松、戸松、戸松と

今度は笑顔で声援

見送る私たちは

落っこちるなよ

またおいでと

ハッピーエンド

それからまだ

嬉しかった言葉のお知があります

それは、その年の夏休みに

タイの首都バンコクでで全世界中の統一教会の学生が

集まって

世界文化体育祭典こと

ハンマダン大会が

挙行されました

そのバンコクに行く前に

韓国に寄ったのですが

私のことを覚えてくれていた

それはそれは美しい

韓国の女子学生に

オッパ(妹のみが兄を呼ぶ時に使い、

時には

韓流ドラマでは、ご存知の方も多いと思いますが

女性が恋人を呼ぶ時に使う言葉)なんて呼ばれて

心臓がバクバクした嬉しい言葉

これが本日のオチです