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drakiti63の日記

私の人となり

母の愛

今週のお題特別編「子供の頃に欲しかったもの」
〈春のブログキャンペーン 第3週〉

幼くして、母に先立たれた私は

母親の愛情に

したてました

じゃなくて

植えてました

でもなくて

飢えてました

その上、死んだら

仮装場じゃなくて

貸そう馬でもなくて

火葬場で

骨までバラバラにされるのを

目の当たりにして

死ぬのが怖くなりました

ここで、問題

バラバラにすると重くなるものなーんだ

答えは、今回の結びの一番で

母が亡くなったのは

1971年3月1日

誕生日は

1933年1月16日

従って、40歳も生きれなかった

ということです

だから、1963年生まれの私は

21世まで生きていられるかどうか

不安でいっぱいでした

兎に角、死を恐れていた事は

間違いのない事実でした

今はさほど気になりませんが

できれば

PPK(ピンピンコロリ)で

死ねたら幸せです

でも不思議なことに

自分が永遠に死なないのでは

なんてナンセンスな

思いにふけることがあります

死を恐れるのは

信仰の道に入ってからも

相変わらずでした

当時、1980年代までは

東大でも左翼運動が

安田講堂占拠事件の時に比べれば

下日になってたもの

それでもまだ

共産党民青同盟をはじめとする

新左翼とよばれる

革マルだの

社学同だの

どこの組織かわからない

左翼たちが

駒場キャンパスを

闊歩している時代でした

それで、私の信仰は

共産主義を凌駕する

勝共思想というイデオロギーがあって

宗教迫害にあってました

言論と物理的な迫害です

どこの大学でも

信仰のサークル

原理研究会

略して原研

でも、大学では一般に

原理研と呼ばれ

共産党の一般学生への

デマ宣、誹謗中傷、事実歪曲などなどで

原研に関わったら

即、将来は絶望的という

とんだ濡れ衣のレッテル貼りをされて

一般学生からは

疎んじられていました

原という苗字の教授先生を

私が渉外に行ったとき

原研がキャンパスに掲げている

共産党への反対メッセージが書かれた

立て看板について

おい、君

原研(原研)と

省略して書くのは

止めてくれないか

だって、原研は

原研究室の

はらけんとも読めるじゃないかと

ちょっとこの辺で

本来書こうとしていた

本題を書こうとしてみます

死を恐れていた私は

信仰の道に入ってから

真っ先に脳裏に掠めたことは

果たして、自分は

潔く、殉教できるのか

ということでした

そして実際

命懸けで

新左翼との闘いの日々を

迎えることになりました

左翼学生からの暴力に対する

護身術として

正道術(韓国語読みはチョンドースル)を

サークルのキャンパスには

一切顔を出さない

全国大学原理研究会の東大支部の

最高責任者

徳野英治氏(現在、日本統一教会の総会長)から

強要されて

夕方に正道術の訓練がありました

実際問題、本当に怖かったのは

正道術の修練です

館長が半端なく強い

ほかの大学のめちゃくちゃ強い

原研メンバーもたくさん

集まってくるので大変大変

格闘技は見るのは好きでしたが

ひ弱な私では

到底かないっこない相手と

真剣勝負をしなくっちゃならないので

実際問題、通常での左翼の暴力など

さほど気にならない程度のことでした

修練中、顔面に廻し蹴りを食らって

鼻血が止まらなかったことや

アバラを骨折したことや

全国大会で散々扱かれて

3日間くらいフラフラだったり

まぁ兎に角、正道術の修練は

辛かったです

でも、それを代償に

正道術が始められたのは

韓国の安家にのみ

何百年も受け継がれてきた

秘伝の武術で

本場、韓国で大学の

長期休講を利用して

韓国で修練会が行なわれていることでした

費用は全て原研が出してくれて

何度も韓国へ行きました

でも、最初の訪韓は地獄でした

真夏のソウルは

特に1984年の夏は

灼熱の中での修練で

対戦こそなかったものの

ひどい下痢で

フラフラ

暑くて暑くて

水も飲めなく

宿舎に置いてあった

とうもろこし茶が美味しかったくらいで

言葉も知らず

何かと不便でした

3週間の滞在でしたけれども

まだ、ウォン高で

レートが今の2倍以上高かったです

それで、帰国してからは

連荘で岐阜の修練所で

2次会の修練会

体力がなく、下痢も治っておらず

強い相手と対戦で

ボコボコにされた記憶があります

で、その続きがもっと大変

東大に戻ってきたら

ちょうどその時は

韓国の全斗煥大統領が

訪日した年でした

その大統領は

ご存知の方も大勢いらっしゃると思いますが

私の勝手で敢えて認めさせて頂ければ

就任するとき

韓国の全羅南道光州市で

クーデターを起こし

多くの一般市民が

デモの弾圧で

虐殺された

曰く付きの大統領でした

故に、韓国の共産主義運動に

リンクしようとする

特に、過激派左翼の反対運動が

駒場キャンパスに行われていました

それで、原研は

統一教会にリンクしている

組織なので

統一教会の目指す

韓国と日本の一体化運動の

一環として行った

全斗煥大統領訪日歓迎運動を

したので

ただでさえ

原研は、韓国のKCIAのスパイと

レッテル貼りされてのに

そんな運動をされるものだから

東大原研のメンバーが

新左翼社会主義学生同盟

凄まじい暴力にあって

駒場キャンパスには

一歩も近づけない状況でした

私は死ぬのが怖いのに

自分で自分を

殉教しなくては

追い詰め

そのジレンマで

鬱状態になりました

それが、母親の死が

遠因となって降りかかったのでした

もしも、母が亡くならければ

東大なんかには進学していなかったと思います

勉強も恐らく2の次、3の次でしたでしょう

一昨日、ブログ更新した

カラーテレビも手に入っていたでしょう

それで

全斗煥大統領にまつわる

鬱状態から

立ち直ったのは

その年の暮でした

信仰の道へ入ってから

一番仲良しになった友達と

一緒に韓国語の勉強を

始めたのがきっかけでした

以前にも駒場で韓国語の講座を

履修してたのですが身につきませんでした

講師は

NHKのハングル講座の講師も務められた

渡辺吉鎔さんでした

ラジオ講座の優しい先生とは

180°違った、大変厳しい先生で

駒場キャンパスの1号館の

大教室109号で講義が行われたのですが

教室は学生達で溢れんばかりの

大盛況

でも、吉鎔先生は

開口一番

今日こんなに大勢の学生さんたちが

集まってくれたんですが

一年後にはもうこんな大教室は必要ないくらい

ひとにぎりの学生さんが残るだけでしょう

その予言はまさに的中するのでした

あのハングルの形は

どう見ても覚えることができそうもないな

というのが正直な感想でした

そして、それよりも以前に

信仰の道に入ったとき

初めてハングル文字の母音を

韓国人女性と合同結婚式

マッチングされた先輩から

教わった感想が

こんなの覚えるの絶対無理というのが

正直な感想でした

ちょっと話が前後しちゃいましたけど

そんな印象のハングルが

韓国のKBSから出版されている

分かりやすい韓国語講座という

1冊のテキストと付随してあった

カセットテープで

勉強始めたら

意外や意外

韓国語って

こんなに簡単な言語だったんだァ

と知り、勉強した内容を

その友達と一緒に

韓国語でやり取りするうちに

メキメキと上達していきました

1ヶ月でそのテキストをマスターして

後は、上記に記した先輩の

韓国の歌謡曲で面白おかしく

勉強して

勉強すればするほど

より韓国語が面白くなって

始めて3ヶ月後くらいには

日常会話くらいは

何とかなりそうなレベルまで

上達しました

明日のブログで詳しく説明するかと思いますが

当時、私は

完全に出家状態でした

住処も教会の寄宿舎

だから、誰も読んでいないような

ハングルで書かれた

教祖様の教本が200冊くらいあって

先輩の韓日辞典を使いながら

読みあさりました

そして、1985年

2度目の訪韓 、正道術修練会で

韓国人の同じ信仰の男性女性と

仲良くなり、益々

韓国と韓国人が好きになりました

性格が名古屋人と似ているところが有り

一層好きになりました

私の性格も

どちらかといえば

韓国的で

韓国人に似ているような気がします

1985年の訪韓は

韓国語ができるのが私だけで

リーダーをはじめとして

同行した信者のメンバーさんから

言いようにこき使われていました

その当時は

現在のように

キムチをはじめとする

韓国の食文化が

日本に定着していない時代でしたから

私の最初の訪韓がそうであったように

初めて訪韓する

大抵の日本人が下痢をしました

それで薬局に薬を買いに生かされるハメとなり

下痢という韓国語がわからない

私が機転を利かせて

薬局のご主人様に

食べたものが消化しないで

便になる病気の薬下さいと

言ったら下痢だと分かってもらえて

下痢はソルサーということを

教えていただいて

勉強になりました

それだけではなく

私が日本人であるにも関わらず

下痢のことを説明したことに

薬局のご主人様が感心してました

その帰りにお菓子屋さんによって

韓国語で店のお上さんに

話しかけたら

ものすごく感動して

喜んで下さり

またまた、韓国人が好きになりました

それから訪韓したメンバー全員で

銭湯に行ったのですが

なんだったかもう忘れましたが

一人のメンバーさんが忘れ物をして

それを返してもらうなんてこともしました

修練が終わっての

夕食後は、みんな疲れ果てて

寝室で眠りに入っているのですが

私だけが修練所を

こっそりと抜け出して

商店街へ韓国の歌謡曲のカセットを

買い出しに行きました

高くて300円くらい

屋台で露天商をやっている

お店なら100円で買えます

二つ買ったら

ひとつサービスしてくれました

そこまでは良かったのですが

私がおっちょこちょいで

お金を払ってもいないのに

払ったつもりになって

危うくトラブルになるところでした

でも、直ぐに

私の過ちに気付いて

ご主人も安心して下さり

穏便に事無く終わることができました

韓国にまつわる話を

書き始めたら

キリがないので

今回はこの辺で止めておきます

母の愛情は

家内から十分すぎるほど

受けていますので

精神障害者でもありながら

こんな私を見捨てずに

夫婦の絆を結び続けてくれる

家内には心から感謝してます

蛇足ですが

今日は家内と

新作名探偵コナンの映画を

夕方くらいに

見に行く予定です