drakiti63の日記

私の人となり

燃えよドラゴンズ

 私が、小学校の4年生の時に、初めて、野球なるものを知って、父が若いころからドラゴンズファンで、地元も名古屋ということもあって、極、自然に私もドラゴンズファンになっていました。当時は、ドームもなく、球場も狭く、とても、バッター有利の時代でした。父が会社で、特別指定席のチケットをもらい、2回だけ、4年生の時、見に行った思い出があります。谷沢選手の3ランと稲葉投手の完封の記憶が残ってます。結局、その年は、3位、最終戦の阪神戦で、星野仙一さんがタイガースを抑えてしまいました。抑えてしまいましたとは、その試合で、タイガースが勝っていれば優勝だったということです。次の日、読売が阪神を圧勝して、それに怒ったタイガースファンがグランドに雪崩れ込み、暴徒と化して、読売の胴上げができなかったという出来事もありました。そして、翌年の1974年、ドラゴンズが僅差で優勝し、読売の10年連続優勝の夢を断ち切ったのでした。何月何日かは覚えていませんが、土曜日が優勝決定の日だったことは、間違いなく覚えています。現在の横浜DeNAベイスターズの古称、大洋ホエールズに、ダブルヘッダー(一日に2回、同一チームと試合をすること)に、一戦目、松本投手の完投勝ち、二戦目、星野仙一さんが自ら先制タイムリーを放ち、圧勝で、優勝を決めました。その瞬間は今でもはっきり覚えています。それからというもの、父と二人で、車のラジオで、毎日のようにドラゴンズの試合を熱心に聴いてました。
 その年、坂東英治さんがドラゴンズの応援歌「燃えよドラゴンズ」をリリースして、名古屋では、知らない人の方が少ないほどヒットしました。同時に、ブルースリーの映画「燃えよドラゴン」が大ブームになったとしでもありました。ドラゴンズファン以外にとっては、どうでもいいような記事になってしまいまして、ごめんなさい。

坂東英二 - 燃えよドラゴンズ!(1974) - YouTube